私の職業はディレクターである。けれども、その実は応援団長のような気がしている。
最近は、学校でもディレクションを学ぶコースがあるそうな。
とはいえ、コンテンツ制作におけるディレクターの役割はかなり広い範囲に渡る。 それを網羅することは全くもってムリと言うものだろう。[参考:ディレクターの役割]
思うにその最たる要因は、コンテンツ自体が多様なために、最大公約数的なケースを挙げられないからではないか?きっと「よくある例」が存在しないのだ。
コンテンツの制作では現場監督にあたるディレクター。ディレクションの対象となるコンテンツは常に新しいトライに満ちているもの。そこで指揮を奮う者に必要になるのは既知のケースから得る知識ではなく、未知なケースを乗り越えるための知恵なのだ。
では、「知恵を身につける方法は?」と言う話になるのだが、そんなもんはありゃしない。いや待てよ、身につける方法はないが解決策を見い出すコツはある。とても簡単なことだ。「相手の意図をよく聞く」のだ。
伝えたいテーマの核を理解し、伝えたい対象を想像すると、大抵答えは見つかるもの。私が経験から得たのは、「納得するまで検討を重ねると解決策が見つかった」という確かな記憶。「もう少し効率的な方法を」と模索しても、私にはそれ以外の方法を見い出すことは出来なかった。貪臭いやり方と思うし、じっさい非常に時間も労力も食う方法であることは確かだ。
けれどその姿勢に至ったときの利点はある(と思いたい)。必然的にコンテンツにのめり込むようになるのだ。やはり、のめり込めないで作るよりは、思い入れが強くなる。その末に完成すると、感動もひとしおだ。まぁ、自己満足に近い感情だが、毎日取り組む制作が胸を張れる作品となるのは嬉しいことには違い無い。
ところで、そういう制作スタイルを続けて来たのちにふと気付いたことがある。コンテンツの制作とは、「あの手この手」と脳みそをひねくって伝えたいテーマを目一杯バックアップしてる行為なのではないか?と。
なるほど。商品紹介や教育ものなど、テーマはいろいろあるが、それぞれが必ずユニークな部分を持っているハズ。良いコンテンツを作る近道は、テーマを好きになり「応援したい!」と思うことなのかもしれない。